待つこと
これ、日々試され、学んでいるなぁ、と思います。
例えば
子どもの成長を待つ。
頭ではわかっているけれど、でもどうしてもあれこれ手や口を出してしまう。
そして反省する、の繰り返し。
そういう中で、
気がつかないうちに、自分が不安に取り込まれていることもあって。
つい先日も無自覚にそのモードにいた私に、
息子と12年間同じクラスで過ごした女の子が、
「彼は、彼だってことがそれだけですごいんですよ!」と。
その言葉をもらって、自分が彼を信頼し切れていないこと、
そして、その不安をまき散らしたことで
その波動を引き寄せてたことを自覚しました。
でも彼女は、
100%の息子にたいする信頼を、私にみせてくれました。
そして彼女の姿と言葉から、私自身も温かさを受け取り、
息子への信頼が自分の中でまた育ちました。
と、ここまで書いて、
子どもという存在は、親である私の成長を、
忍耐強く受け入れ、許し、待ってくれている存在だ、
とも言えるのだなぁ、と気づいた次第です。
そう思うと、
苦手だった「待つ」、という行為が楽しみなことに変わっていきます。
そんなふうに、少しずつでも
私の中で育ってきているかもしれないな、と思えたりするのです。
それにしても、
何の疑いもなく、そういう風に息子を受け入れてくれている彼女が
本当に素晴らしいし、ありがたいなぁ、と思います。
そして多分、他のクラスメートも
そんな風にお互い認め合っているのがいつも伝わって来て、
なんて幸せな子ども達だろう、としみじみ思います。
いまだ発展途上で迷走しっぱなしの私ですが、
この道は選んで良かったです!
(まだ続いていますけれどね。)
待つ、ということについて書き始めたのに、
結局はシュタイナー教育のよさに行き着くという・・・。
それもまた実感だから良し,ということにいたします。
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