ふとしたときの量子場視点
ここ最近、意識的に学んでいることと、日々の暮らしが呼応してくるようになりました。
と感じることが多くなったと言いますか。
例えば、読書会で取り上げている題材は今「許しの隠された意味」。
この本を一週間に一度、先生と一緒に読み進めているのですが、
毎週読む,その部分が、まさにその前後一週間で起こった暮らしの中の出来事に大きな示唆を与えてくれます。そして課題と向き合うための智恵と勇気も。
そして,今朝、施術しながらふと、量子場で使う視点は、
そのまま世界のあり方でもあるのだなぁ、という降りてきました。
私はよく、「あの人のここが変わるともっとこういう風に良くなるのになぁ」とか
「あれは本人が一番苦しいんじゃないかなぁ」などと思って他者を観ていたりする自分に気がつくのですが、そうしているときは、自分はすっかり棚の上です。
でも、ふと、相手の有り様は、私自身の鏡であり、
私自身が変われば相手もそのまま変化することを想いだして、自分に焦点を合わせていると、いつの間にか相手との関係は変わっていた,ということに気づきます。
そして今朝は、そういう時に、ただ自分にフォーカスするのではなく、
他者と自分と、両者があって初めて物事が成り立って、その両方に意識を置くことの方が、
より軽やかで素早い変化を現実のものと出来ることを施術を通して気がつきました。
やった。
頭だけではなく、
手足の隅々までこの認識が行き渡ったときが本当に理解する時。
ということも、だんだん体験の中に顕われている今日この頃。
どんどん私の世界は素晴らしくなっていきます。
自分の感じ方・観方こそ、世界を変える一番の力なんだなぁ、
としみじみ日常を愛おしく思うこのごろです。
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