祈ること聴くこと
今朝は久々のオイリュトミー講座に。
アドベントの予感が近づくこの時期、最後は、聖書からクリスマスの言葉を動きました。
「いと高きところでは、神に栄光があるように。
地の上では善意の人々※に平和があるように」
(※共同訳では「御心にかなう人々」とあるところ、シュタイナーがこのように
言い換えたそうです。先生談。)
地上が闇に向かっていくこの時期に、心にいつも光を抱いて過ごすこと。
その光が心のうちとそとに平和をもたらすこと。
祈ることは自分の想いを言葉に託して天に届ける行為だと思っていました。
きょう、この言葉をいただき、今必要なことは必ず与えられる、その為には耳を澄まして、心を静かにして、予感することの大事さに気がつきました。
そして、受け取れた感謝を表現すること、
それ自体が、すでに祈るということなのだな、と。
聴く,ということは、予感すること。
(ーーとおっしゃる音楽の先生が身近にいてくださる幸せ♪)
そんな風に思って世界に出会うと、今までとは全く違った世界を生きることになるのだと、
ようやく気がつきだしたこの頃。毎日の何と新鮮なことか。
シュタイナー、量子場、シュタイナー、量子場・・・。
その学びの廻りが今自分の中で熟成し、ある味わいとなるのを待っている、そんな予感に満ちた毎日をすごせることに心から感謝しています。
願わくば、この世界が響き合い、彩られ、美しい形で満たされますように。
0コメント