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愛しの右手中指第1関節

日常に追われて気がつくと、いつの間にか富士山の雪もこんなに溶けておりました。びっくり。毎年見ているはずなのに、こんなに雪ってなくなるの早かったかしら?なんだか余裕ないなぁ、と思っていたら、右手の中指がいつの間にか先っぽだけ曲がっていた。あれ、どうしてかな?ぶつけたのかしら。でも痛くない。と思って放っておくこと一週間。なんだか気持ち痛くなって腫れてきたなぁ。と、整形外科に行って待つこと1時間。すごいね、病院て混んでますね。診ていただいて、マレット変形という腱断裂でした。全治3ヶ月って!でもそれよりこの指先の固定具がどうにも大変そうなんだなぁ・・・。治ってもちょっと曲がったままになりますよ、と言われて落ち込んでる自分がいたりして。でもそうだ、この前観てもらった友人に、笑え、って言われたなぁ、と思い出して、そうか、こういう状況も笑えるようになる練習だね、と思いなおす。そして、せっかく良いチャンスなので、量子場でどこまでまっすぐつくか。早速試してみます。3ヶ月。ちょうど新しい施術のアプローチを思いついたところで、ここで試せるのかも〜、と楽しいことも思いつくようになった自分えらいね。とここまでとりあえず上がってこれました。ということで、その経過をボチボチ上げていきます。実験実験。上手くいったら同じ怪我の人にしてあげられるね。整形外科の先生には、「年間2人ぐらいしか見ませんけどね」って言われたけれどね〜。指曲がり 亡き祖父思う 蛍の夜

世界は繋がっている

今日は量子場のお勉強で山中湖へ。行きは曇っていて富士山は全然見えない。残念。行く道々、7人も量子場師が集まるのだから、今回の地震に対して自分達で出来ることがあるような気がするなぁ、とは思ってた。学びの内容は、集合意識は自分の一部であること、つまり、世界は結局自分の意識が創っているということ。そして、その集合意識は育てていけるということ。そんなことを教わったり、実感する練習したり。そして最後に、今の熊本に対して、量子場的アプローチをみんなで実践してみた。するとどうでしょう!私の世界の熊本は、もう既に乗り越えた先の素晴らしい世界に変要している。あるいは、愛とともに暖かさの中にある人々に。私の世界が変われば、世界は確実に動くということを今は知っている量子場師としてこういう行為としての祈りには、本当に力があるのだなぁ、としみじみ思うこの頃です。何より嬉しかったのは、こういう形の祈りを通して、既に彼の地は私の一部となったこと。ともにある、という安心。量子場師でよかったと、思った次第です。そして、この祈りは以外とすぐに誰でもできることなのだ。ちょっとしたコツがあるだけ。(興味のある方にはお教えいたします♪)目に見える支援とともに、目に見えないけれど確実に存在する支援もしていこうと思った帰り道。富士山は光輝いてました。美しい姿を見せてくださってありがとう!!

留学生がやってきた♪

今日から3ヶ月ちょっと、縁あって、留学生が我が家にやってきました。ドイツから。日本食に興味があって日本語を習っているという15歳。まともな英語がだ〜れも話せない私たちの家で、きっと彼の日本語は格段に上達することでしょう。実はここ数年、専業主婦の私は、専業のくせに、その役割のほとんどを放棄しておりました。子供達が大きくなっていろんなことができるのを幸いに、朝も子供より遅く起き、お弁当も子供が作り、子供がセルフで朝ごはんも食べて行き(そして時には食べずに)お掃除も、片付けも元々苦手だし、お庭の草取りも息子のルール破りのペナルティと称して彼任せにし、とにかくこれ以上サボれない、という限界までサボりまくって暮らしておりました。最初はそれなりの理由があって始めたサボリも、癖がつくとなかなか抜け出せず、そろそろなんとかしなくちゃなぁ、と思いつつもだらだら日々を過ごしてはや数年。でも神様は優しいのです。こんな私も見捨てずに、次の段階へいけるよう(それも苦手な努力なしで)楽しい道を用意してくれました。留学生が来ることになってから、心は焦りつつもマイペースでゆっくり準備を進め、とうとうやってきた受け入れの日。朝からバタバタとラストスパートで家を片付け、お迎えに出発する前に見回したお家の中の綺麗さに、(普通の人にとっては当たり前の毎日だったりするのでしょうが)かなり感動。そしてそれだけでなんという達成感!あ〜、これだけ出来ただけでも、受け入れに手を挙げてよかったと思っている自分。そして、今までの私のパターンだと、最初に飛ばしすぎて(やりすぎて)息切れして家族に当たったり、その反動でリハビリに時間がかかったりしてました。なので今回は、ずっとマイペースで楽しく過ごすことを1番大事にして、日常を丁寧に暮らそうと思います。これは長年やりたくて目指しつつ、どこか無理があっていつも半端になっていたことでもあります。量子場と出会って、自分のあるがままを受け入れられるようになってきたからこその、楽しく慈しむ日常。4ヶ月後はそのように楽しめて終わっていると設定できる自由さ。量子場って本当に日常で使う技術として便利だなぁ、と思った次第です。意図するだけでもう変化(創造)しているのですから。4ヶ月後が楽しみです。

待つこと

これ、日々試され、学んでいるなぁ、と思います。例えば子どもの成長を待つ。頭ではわかっているけれど、でもどうしてもあれこれ手や口を出してしまう。そして反省する、の繰り返し。そういう中で、気がつかないうちに、自分が不安に取り込まれていることもあって。つい先日も無自覚にそのモードにいた私に、息子と12年間同じクラスで過ごした女の子が、「彼は、彼だってことがそれだけですごいんですよ!」と。その言葉をもらって、自分が彼を信頼し切れていないこと、そして、その不安をまき散らしたことでその波動を引き寄せてたことを自覚しました。でも彼女は、100%の息子にたいする信頼を、私にみせてくれました。そして彼女の姿と言葉から、私自身も温かさを受け取り、息子への信頼が自分の中でまた育ちました。と、ここまで書いて、子どもという存在は、親である私の成長を、忍耐強く受け入れ、許し、待ってくれている存在だ、とも言えるのだなぁ、と気づいた次第です。そう思うと、苦手だった「待つ」、という行為が楽しみなことに変わっていきます。そんなふうに、少しずつでも私の中で育ってきているかもしれないな、と思えたりするのです。それにしても、何の疑いもなく、そういう風に息子を受け入れてくれている彼女が本当に素晴らしいし、ありがたいなぁ、と思います。そして多分、他のクラスメートもそんな風にお互い認め合っているのがいつも伝わって来て、なんて幸せな子ども達だろう、としみじみ思います。いまだ発展途上で迷走しっぱなしの私ですが、この道は選んで良かったです!(まだ続いていますけれどね。)待つ、ということについて書き始めたのに、結局はシュタイナー教育のよさに行き着くという・・・。それもまた実感だから良し,ということにいたします。

ふとしたときの量子場視点

ここ最近、意識的に学んでいることと、日々の暮らしが呼応してくるようになりました。と感じることが多くなったと言いますか。例えば、読書会で取り上げている題材は今「許しの隠された意味」。この本を一週間に一度、先生と一緒に読み進めているのですが、毎週読む,その部分が、まさにその前後一週間で起こった暮らしの中の出来事に大きな示唆を与えてくれます。そして課題と向き合うための智恵と勇気も。そして,今朝、施術しながらふと、量子場で使う視点は、そのまま世界のあり方でもあるのだなぁ、という降りてきました。私はよく、「あの人のここが変わるともっとこういう風に良くなるのになぁ」とか「あれは本人が一番苦しいんじゃないかなぁ」などと思って他者を観ていたりする自分に気がつくのですが、そうしているときは、自分はすっかり棚の上です。でも、ふと、相手の有り様は、私自身の鏡であり、私自身が変われば相手もそのまま変化することを想いだして、自分に焦点を合わせていると、いつの間にか相手との関係は変わっていた,ということに気づきます。そして今朝は、そういう時に、ただ自分にフォーカスするのではなく、他者と自分と、両者があって初めて物事が成り立って、その両方に意識を置くことの方が、より軽やかで素早い変化を現実のものと出来ることを施術を通して気がつきました。やった。頭だけではなく、手足の隅々までこの認識が行き渡ったときが本当に理解する時。ということも、だんだん体験の中に顕われている今日この頃。どんどん私の世界は素晴らしくなっていきます。自分の感じ方・観方こそ、世界を変える一番の力なんだなぁ、としみじみ日常を愛おしく思うこのごろです。

音を聴くこと。そのままを受け入れる

今日渋谷のデイライトキッチンへ、ピアノ調律のWSのためにはじめていってみました。とってもステキなカフェでした。子どもの学校つながりのご縁です。http://www.daylightkitchen.jp/news/detail.php?sid=12子ども達が通うシュタイナー学園の音楽の授業は、厳かな静寂の中でただただ響きに耳を澄ます、という所から始まります。そういう音楽体験を通して、親の私も、聴くという行為に奥深い世界があることを知っていきました。そして2年前に出会った量子場調整という技術を通して、対象に客観的に向き合う新しい手段を手に入れました。この二つの行為を通して、私の中の、耳を澄ます、という態度が、育ってきたように思います。そして、ごく最近、この延長線上に、受け入れる、ということと、許す,ということが日常で顕われるようになりました。一見関係のなさそうな行為ですが、この二つは同質なのだと日々実感します。今日のWSでも、この二つがキーワードとなり、音の振動を耳ではなく体で感じることで、全ての音に良いも悪いもない、ただ振動があるだけ,ということを体験しました。内田さんはそれを意味付けしない、と表現していました。私はすぐに、量子場的にはジャッジしない、判断しない、ただ観察するだけ,ということだな、と脳内変換してました。判断せずに認識することの大切さを、全く違う切り口から、今日は体験しました。それも音(響き)をとおして。それは、そのままを受け入れる,ということだと。音に名前を付けず、カテゴライズせず、(バイアスをかけず)ただただ音を観る。自分の体のどこで響くのか、どの方向から、どんな質なのか。高いのか低いのか、遠いのか近いのか。そんな風に観ているうちに、純粋な音の体験がどんどん豊かになってくる、ということを入り口ながら体験しました。エネルギーに満ちたお野菜の美味しいお料理に舌鼓をうちながら、色んなことをわずか6人程度でシェアし、今日の理解を落としつつ、最後に聴いたサックスとクラヴィコードの演奏。都会のカフェの喧噪さえも音楽の一部となって調和しつつ、聴いている人の中に深く響く音達は、とうとう許して許される、という体験まで引き出しました。なんということでしょう。耳を澄ますことは許すことであり、許されること。というのを目の当たりにした今日。自分の中を豊かに響かせ、他者の響きをただただ受け入れ、両者の響きが交わることで全く新しい響きが生じることを識る。そのすべてが喜びであり、美しい。平和という形は、このようにして創られるのだろうと思います。シュタイナーの音楽体験と内田さんのピアノ調律。今度は藤野で是非コラボ企画をと妄想しながら眠りにつきます。天使の皆さまよろしくお願いします!                                   立春末候

新しい年のはじまり

旧暦のお正月を迎えるにあたり、昨年から使い始めた地球暦のイベントに行ってきました。会場は静岡の事任八幡宮。この神社は長野の戸隠神社・諏訪大社からの南北ラインの南端に位置しています。そして、真東には鹿島神宮、真西には・・・忘れちゃいましたが、どこか由緒あるお社とつながっていました。主祭神は興台産命こことむすびのみこと(言霊の神様・四国の天川神社)の后神様である、己等乃麻知比売命ことのまちひめのみこと。真を知る神様、言の葉で事を取り結ぶ働きをもたれる神様、あるいは言の葉を通して人々に加護を賜う「ことよさし」の神様として知られているそうです。そういえば、何年か前に神様カードでこの神様と出会ってたな・・・。 量子場調整と出会って、日本語の言霊の力に日々驚きとともに興味を募らせていた,このタイミングでの巡り合わせです。違う方向から出発したら、到着地は一緒だった,みたいな感覚です。楠の大木と大杉が社を前後に挟んでお守りしている,素晴らしい氣が満ちるお社でした。昨年から旧暦や星の動きと日常がつながりつつある中、今年の惑星の開きと結びが穏やかな朔弦望にあたる事が多いとか、2020年の夏頃には、結びが銀河の中心方向(未来)に集中する事等を、年の初めに伺えたのは幸いでした。物事の進め方に星の力を借りるのは、スムーズに物事を進めやすくするように思います。あらためて、地球暦をもっと活用しよう!と思った次第です。今日から新しい年ではあるけれど、地球暦的にはもう少し前の年に属する感じでもあるこれからの1月あまり。来し方行く末の真ん中に立ち、想いを巡らせつつ、日々を過ごせたら良いなと思います。とにかく今年は自ら動いて、痛みも引き受けつつ前へ進む、のが良いらしいと・・・。今日はせっかくなので、ことのまちひめのみこと様に、今年の願い事をお預けしました。すごく力のある神様。楽しみです〜。そして、今日の出会いはまた未来につながっている予感が〜。今年のテーマは「美しい形と豊かな響きを深く識ること」に決まった感じですね。今日で。またのちのちにそこには触れていこうと思います。                        2016年2月8日 旧暦元旦

自分を信じること

今週末のセンター試験に向けてがんばるクライアントさん。直前でどうしても過去問の点数が伸びず、もうダメだ!と悩んでいる。ので、今は朝晩毎日遠隔で調整して観る。いつも調整していて思うのは、自分に対しての評価が根拠なく低い人のなんと多いことか。(本人的には根拠はあるのでしょうが)毎日10時間以上休みなく勉強して、それを1年以上もやってきて、まだ自分を信じられない厳しさを自分に対して持っている。誰が認めてくれなくても、なんと言われようと、まずは自分が、がんばっている自分をほめて認めてあげること。同じ根拠がないのなら、根拠のない自分への信頼の方がいいと思う。入試には何の役にも立たなそうな、そんな小さな意識の変化が、実はとても大事だと思う。特に、直前のこの時期には。がんばっている自分をほめて、大丈夫と朝晩言い聞かせて。もうダメだと思い続けて迎える本番と、大丈夫と毎日自分に暗示をかけて迎える本番と。結果は違うと思う。だから、まわりで応援している人も、是非未来を信じてあげて欲しいと思う。だって、心配も波動、信じる気持ちも波動。波動は現実を動かし得ます。本当に必要な未来は必ずやって来る。(現実が違う結果の時はそこにこそ大事なメッセージがあると思うし)人事を尽くして天命を待つ。なんてことを自分事のように思って過ごす今週です。(ちなみに未来の波動も観られますので合格するかどうかも波動的にはわかります♪)

呼吸=エネルギーの循環

量子場調整に出会うまで、頭ではわかっているけれど、手足まできちんと降りていない、という体験が多かったと思う。シュタイナー的表現だと、認識していないことが、自分でおもっているよりも多かったな、と。又は、わかっていたつもりでいたけれど、実は奥行きが深かったのに気がついていなかったという方がしっくり来るかもしれません。例えば、先日の書道の時。以前の友達の発言から、大地からのエネルギーと、天からのエネルギーを両方から受け取って、腕に流す。その先に筆があり、流れの発露として紙に形を残す、というのをイメージしながらやっていたのです。それは面白い程形となって顕われました!因に書道は超初心者ですけれど(笑)。そしてもっと面白いのは、隣で一緒に書いていた量子場師の友人は、緊張している私が口から息を吐く様子を観て、「その、前に流しているエネルギーを下に降ろすといいのに」と感じ、自分は実践して、たいそう良く流れて楽しく書けたと。へぇ〜、じゃあ次回は、上下からのエネルギーの流れを筆に流すと同時に、緊張した時は、息を吐くとき大地に降りていくイメージでやってみよう!と思っています。そんなふうに、今までなかった視点が自分の中に育ってきたと感じます。エネルギーを流す、ということを意識すると、呼吸にも意識がいくなぁ、と。私の段階は、まだその二つが上手に連動する時が少ない感じ。でも連携した時の気持ちよさが少しずつみえて来た感じ。エネルギーを流すことは、呼吸を正しくすること,でもあるんだなぁ、とだんだんと実感こもってきたこの頃です。いままで観てきた世界が新しい色で塗り替えられていく。量子場を知ってからの私は、そんな体験を楽しんでいます。ご興味のある方は、まずは観察術で、場を観る練習からはじめて見ると面白いですよ〜。